大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成8年(オ)2064号 判決

上告人

古川富次

古川スイ

右両名訴訟代理人弁護士

谷萩陽一

佐藤大志

椎名聡

被上告人

大東京火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

小澤元

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人谷萩陽一、同佐藤大志、同椎名聡の上告理由について

一  本件は、上告人らが、古川隆雄の自動車事故による死亡について、隆雄が被上告人との間で締結した自家用自動車保険契約に基づく自損事故保険金一四〇〇万円及び搭乗者傷害保険金五〇〇万円の支払請求権を相続したと主張して、被上告人に対して上告人らに各九五〇万円の支払を求める事案であるところ、原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。

1  上告人ら夫婦の長男である隆雄と被上告人は、平成元年三月三日、次の内容の自家用自動車保険契約を締結した。

(一)  保険期間 平成元年三月三日午後四時から同二年三月三日午後四時まで

(二)  被保険自動車 隆雄所有の本件事故車

(三)  保険金受取人 隆雄

(四)  保険契約の締結と同時に第一回目の分割保険料一万一九四〇円を支払い、第二回目以後の分割保険料については平成元年五月から同二年一月まで毎月二六日に三九八〇円ずつを支払う。

(五)  本件に関係のある保険事故及び保険金は、(1) 被保険自動車の運行に起因する急激かつ偶然の外来の事故により被保険者(被保険自動車の保有者及び運転者並びにその正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者)が身体に傷害を被り、かつ、それによって被保険者に生じた損害について自動車損害賠償保障法三条による損害賠償請求権が発生しないことを保険事故とし、右傷害の直接の結果として死亡したときの死亡保険金を一四〇〇万円とする自損事故保険、(2) 被保険自動車の正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者がその運行に起因する急激かつ偶然の外来の事故により身体に傷害を被ったことを保険事故とし、右傷害の直接の結果として事故発生日から一八〇日以内に死亡したときの死亡保険金を五〇〇万円とする搭乗者傷害保険である。

(六)  本件保険契約に適用のある約款には、「当会社は、保険契約者が第二回目以降の分割保険料について、当該分割保険料を払込むべき払込期日後一か月を経過した後もその払込みを怠ったときは、その払込期日後に生じた事故については、保険金を支払いません。」(保険料分割払特約第五条)という定めがある。

2  本件保険契約の第一回目の分割保険料一万一九四〇円は約定の払込期日である平成元年三月三日に支払われたが、同年五月二六日及び六月二六日に支払われるべき分割保険料は払込期日までには支払われなかったところ、被上告人の代理店として本件保険契約の締結事務を取り扱った黒沢将浩は、同年七月一四日、同年五月から七月までの各月二六日に支払うべき分割保険料の元本の合計額に相当する一万一九四〇円を、本件保険契約に基づく保険料として、隆雄に代わって、被上告人に支払った。

3  隆雄は、茨城県常陸太田市において上告人らと同居していたが、平成元年七月一一日の夕刻に自宅を出て以来行方が分からないでいたところ、同三年二月一日に同県日立市所在の日立港第四埠頭南側約三〇メートル先海底において、被保険自動車の中で白骨死体となっているのを発見された。隆雄は、被保険自動車の運行に起因する事故により死亡したものと認められるが、右死亡事故の発生日時を認めるに足りる証拠はない。

二  右事実関係に基づいて検討する。

1 前記一1(六)記載の約款の条項は、保険契約者が分割保険料の支払を一箇月以上遅滞したため保険会社が保険金支払義務を負わなくなった状態(以下「保険休止状態」という。)が生じた後においても、履行期が到来した未払分割保険料の元本の全額に相当する金額が当該保険契約が終了する前に保険会社に対して支払われたときは、保険会社は、右支払後に発生した保険事故については保険金支払義務を負うことをも定めているものと解すべきである。

けだし、右条項の趣旨は、保険契約者が保険料の支払を遅滞する場合に保険金を支払わないという制裁を課することによって、保険会社の保険料収入を確保するとともに、履行期が到来した保険料の支払がないのに保険会社が保険金支払義務を負うという不当な事態の発生を避けようとする点にあるが、履行期が到来した分割保険料が支払われたときには、右の制裁を課する理由がなくなるから、保険金支払義務の再発生を認めることが衡平であり、契約当事者の通常の意思に合致すると考えられるからである。

2 右約款の条項については、保険休止状態の発生による保険金支払義務の消滅を主張する者は保険休止状態の発生時期及びそれ以後に保険事故が発生したことを主張、立証すべき責任を負い、保険休止状態の解消による保険金支払義務の再発生を主張する者は保険休止状態の解消時期及びそれ以後に保険事故が発生したことを主張、立証すべき責任を負うものと解すべきである。

けだし、保険休止状態の発生は権利消滅事由であるから権利の消滅を主張する者に立証責任を負わせ、保険休止状態の解消はいったん消滅した権利の再発生事由であるから権利の再発生を主張する者に立証責任を負わせるのが、妥当であるからである。

3  本件についてこれをみるのに、前記事実関係によれは、本件保険契約は平成元年五月二七日から同年七月一四日に未払保険料が支払われるまでの間は保険休止状態にあったが、保険事故の発生時期については平成元年七月一一日以後であることが証明されたにとどまり、同日以後のいつの時点において保険事故が発生したのかを認めるに足りる証拠はないというのである。そうすると、保険休止状態の発生時期である同年五月二七日より後の同年七月一一日以後に保険事故が発生したことが証明された本件においては、被上告人は、保険休止状態の発生による保険金支払義務の消滅についての主張立証責任を尽くしたものということができる。これに対して、保険休止状態の解消時期である同年七月一四日の保険料の支払の後に保険事故が発生したことが証明されなかった本件においては、上告人らは、保険休止状態の解消による保険金支払義務の再発生についての主張立証責任を尽くしたものということはできない。

以上によれば、上告人らの本件保険金請求を棄却すべきものとした原判決の結論は正当であって、論旨は採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大西勝也 裁判官根岸重治 裁判官河合伸一 裁判官福田博)

上告代理人谷萩陽一、同佐藤大志、同椎名聡の上告理由

原判決には、以下の理由で、判決に影響を及ぼすことの法令の違背がある。

一 原判決の趣旨は、一旦休止状態になった後の保険金支払は、保険者の保険契約者に対する支払義務を復活させるものであるから、この保険金支払義務の有無を根拠付ける事実は、保険契約者において主張、立証すべきである、との立場に立って、本件においては亡古川隆雄(以下「亡隆雄」という)の死亡事故が平成元年七月一四日以降に発生したものであるかどうかが認定できないので、右に従って保険者である被告には支払義務はないとするものである。

二 上告人が原審でも主張したとおり、「保険金支払義務の有無を根拠付ける事実」を保険契約者において主張、立証すべきである、との立論については、保険料の支払時期が問題になる場合と、保険事故の発生時期が問題になる場合とを同様に扱う点に最も大きな問題がある。

保険契約者としては、この場合保険料の支払時期より前に保険事故が発生したとの事実を立証することが必要になる、と一応はいえるわけであるが、本件のように保険料を支払った事実及びその時期について争いがなく、保険事故の発生時期について争いがある場合と、反対に保険事故の発生及びその時期については争いがなく、保険料の支払時期について争いがある場合とでは、立証の難易に質的な差があるのであり、前者の場合にまで前面的に保険契約者に立証責任があるとすると、保険契約者にとっていかにも酷な立証を強いることとならざるをえない。

三 保険会社は専門の調査員を擁し、豊富な資金力を持って保険事故の発生状況等について詳細な調査をしているのであって、保険事故の発生時期が保険料の支払時期より後であることの立証責任を課しても決して酷とはいえない反面、一般人たる保険契約者には、そのような調査能力はなく、せいぜい本件のように訴訟において関係者を呼び出して証人尋問をする程度のことしかできないのであって、これによって保険事故の発生時期が保険料の支払時期より前であることが立証できない限り保険金の支払義務がないとするのは、立証責任の公平な分担とは到底いえない。

四 なお、この点に関連して、原審判決後ではあるが重大な事実が判明した。

すなわち、第一審における証人であった黒澤将浩(以下「黒澤」という)は第一審において平成元年七月一四日に三カ月分の保険料を立て替えて支払ったと証言したが、これを裏付ける書証は甲第四号証があるのみである。

ところが、この甲第四号証はもともとは「平成1年7月31日」と記載されていたもので、そのコピーの上から31の文字を抹消して14と訂正したものである。黒澤はこの訂正をしたのは自分ではなく、誰が訂正したかは分からないと証言した。

しかし、もともと黒澤が保険料を立て替えたころは黒澤は立て替えたこと自体を上告人らに告げていないのであるから、上告人らはいつ立て替えたかを知る立場にはなかった。七月一四日に立て替えたということ自体、黒澤から聞いたことにすぎず、これを裏付ける確かな書類は結局のところ存在しないのである。

他方、立て替えをした黒澤自身がかつて上告人に対して「掛け金は少なくても掛けたことに違いはないから保険金をもらえると思うからもらった方がいいですよ、裁判のときは証人になってもいいからがんばってやってみて下さい。」と提訴を強く勧め、その勧めに従って本件提訴をしたという経過があり、こうした点に疑問を抱いた上告人らにおいて、あらためて最近になって黒澤に条理をつくして真実を話してほしい旨懇請したところ、実際に立て替えたのは一四日ではないと教えてくれたのである。

黒澤の口ぶりからは実際の立て替えは一四日以前、それも一一日以前であったことが強くうかがえるのであるが、黒澤は保険会社に気兼ねしているらしく、この点は明言を避け続けている。

結局、被上告人において保険金の支払を免れるため、実際の入金時期よりあとに入金になったかのように工作し、代理店である黒澤をして上告人に対してそのような説明をさせ、裁判所においても同旨の証言をさせた、という疑惑が強まったのである。

従って、新たな証拠調べが許される段階であれば、被上告人内部の商業帳簿、伝票、預金口座等、入金時期を証する客観的資料の提出を求める等してこの点についての証拠調べを徹底すべきであった。

五 上告審においてあらたな証拠の提出が出来ないのは致し方ないとしても、右のような事実は、少なくとも本件においては保険金の支払い時期についても安易に保険契約者に立証責任を負担させるべきではないことを物語っている。ましてや一般的に保険契約者においては立証の困難な保険事故発生時期については、その立証責任を一般人たる保険契約者に負担させるのはあまりに酷であり司法の公正を害すると言っても過言ではない。

したがって、当審においてあらためてその点についての判断を求めるべく上告に及んだ次第である。

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